トップ 展示室 > ブルーノ・タウト
 仙台はデザイン研究発祥の地?工藝指導所とは?記念碑と跡地ブルーノ・タウト剣持勇|代表作品]
 ●剣持 勇って?
剣持 勇(Kenmochi Isamu 1912〜1971)
・1932年工芸指導所入所(1955年までの23年間在籍する)
・1952年日本インダストリアルデザイナー協会を
 渡辺力、柳宗理らと結成
・1955年「剣持勇デザイン研究所」設立
・1964年ニューヨーク近代美術館・コレクションに
 「籐丸椅子」が選定される
 ●入所1年目、21歳でのブルーノ・タウトとの出会い
入所1年目、工芸指導所研究試作品展覧会での、
ブルーノ・タウトの酷評に衝撃を受けつつもその忠告は価値あるものとうけとめる。
            
タウトが工芸指導所に顧問として来所することが決まり、
所長より”タウトの工芸指導所の組織方針に対する意見”を聞き、
師事するよう直々にたのまれる。
            
1933年タウトのもとで規範原型()の研究を行う。
剣持は工芸指導所に対する意見だけでなく、
タウトから学び得られるものはすべて得ようとしていた。
 ●タウトが去った後、豊口克平らと規範原型の研究をまとめる
タウトが工芸指導所を去った後、剣持らは規範原型の研究を進めるなかで、
雪を利用して人体寸法をとる実験を始めました。
〈雪型による椅子の人体曲面の採寸実験〉 「規格家具」の表紙
「規格家具」の刊行
31歳の時に「規格家具」を相模書房から出版し、
規範原型や人体寸法計測などの研究成果を発表しました。
ここで、日本の生活様式や日本人の体型に合った家具を
つくることが望ましいと提案しています。
 ●アメリカからの刺激
 1952年5月13日から11月13日までの6ヵ月間、
アメリカの産業及び経済の状況とデザインの実情を視察するため、
通産省より出張を命じられました。
【アメリカで学んだこと】
1)「日本美」の発見
アメリカ人の目で選ばれた「日本美」は竹や漆塗りであり、
質のよいものが選ばれていること

2)デザイナーの社会的地位
アメリカで「デザイナー」が職業としての
地位を確立していて、独立していること

3)モダン・デザインの浸透
C.イームズやイサム・ノグチ等の家具が
モダン・デザインとして日常生活に浸透していること

4)日本企業の海外商品のイミテーションの多さ
日本企業の製品には米国のコピー商品が多く、
デザインに日本の独自性を打ち出していないこと
            帰国後…
■日本インダストリアルデザイナー協会を25人の仲間と設立

■剣持勇デザイン研究所を設立し独立

■ジャパニーズ・モダン提唱
 独立し、事務所をかまえた剣持は一般の人にデザインの良さを
広めようとしながら、家具やインテリアのデザインを数々手がけ、
1964年 代表作「籐丸椅子」がニューヨーク近代美術館の
永久コレクションに選定されました。